ガラス芸術の世界


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       薩摩切子の歴史 





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ガラスについて

その昔人間が作り出したガラスの起源は、古代メソポタミア地方(アジア大陸の西側)で少なくとも今から四千数百年以前に始まったと考えられているようです。

古くはガラスのことを「瑠璃(るり)」と呼んでいましたが江戸時代には、普通の吹きガラスを意味するポルトガル語で「びぃどろ」、ダイヤモンドを意味するオランダ語で「ギヤマン」と呼ばれ「ギヤマン」は江戸時代後期にはガラス器の中でもカットやダイヤモンド・ポイント彫りを施したガラスを「ギヤマン」と呼ぶようになりました。




薩摩切子の歴史

独自の美の世界は日本的な美意識と西洋への憧れとが融合して生まれた


薩摩切子とは、江戸幕末のごく短期間に鹿児島の薩摩藩でつくられたカットグラスで、すぐれた技術と美術的価値から「薩摩切子」と呼ばれて珍重されています。

薩摩藩におけるガラスの製造は、1846年(弘化三年)島津家27代 藩主 島津斉興(しまづ なりおき)の代に薬品に耐えるガラス器と試験や製煉に使用するガラス器具の必要から、江戸より加賀屋の徒弟、硝子師 四本亀次郎を招いて薬瓶などのガラス器を製造したのが始まりで、1851年(嘉永四年)島津家28代 藩主 島津斉彬(しまづ なりあきら)の代になると、紅ガラス製法を研究させ、日本で初めての銅粉で発色する黒ずんだ赤色と、金粉で発色する透明な紅ガラスの製造に成功しました。

1858年7月、島津斉彬の急死により、ガラス工場はほとんど閉鎖され、1863年(文久三年)薩英戦争で英国艦の砲撃を受けてガラス工場や他の工場を焼失してしまいました。その後、29代 島津忠義は、集成館を再会したが、ガラスの製造をされたか明らかではありません。

1877年(明治十年)西南戦争の頃には、薩摩切子の技術は跡絶えてしまいました。薩摩切子は、斉彬により日本の将来を見すえ、外国にはないガラスを目指し創造されました。

幻の薩摩切子となってから、1984年(昭和59年)島津家(島津興業)により、約100年ぶりに復元され、翌年1985年(昭和60年)ゆかりの地、鹿児島市磯に島津家により薩摩ガラス工芸が設立されました。

そして1986年(昭和61年)には、新たに薩摩ガラス工芸の本工房を創築し、本格な復元事業が開始されました。




薩摩切子の特徴

色があいまいな美しいグラデーション 「ボカシ」 が最大の特徴


昔の薩摩切子は酸化鉛(Pbo)を45%前後含有しており、今現在は25%のクリスタルガラスです。
透明なガラスの外側に色ガラスを1〜3mmほど厚く被せて、外側の色ガラスを削り落とし、内側の透明ガラスとの境をあいまいにする「薩摩ボカシ」と呼ばれる美しいグラデーションが最大の特徴です。色ガラスを厚く被せる事で、使用するガラスの分量が増え、成型に手間ひまがかかり、カット(切子)を施すのも、匠の技が必要になってくる。

外側に色を被せた色被せの薩摩切子・無色透明の薩摩切子、共に重量感があり男性的な感じがする。

刃の使用角度  100度 〜 140度 (主に110度・120度) 




薩摩切子の彫りの深さとぼかし

最大で5つ段階の彫りの深さで表現


薩摩切子は、外側の表面に色ガラスを厚く被せることで、華麗な文様の施しが可能となります。

下記の@〜Dのように、全く削らない部分を含み
最大で5つ段階の彫りの深さで文様を表現 いたします。

※ @からDにかけて彫りの深さが浅くなります。 Dがない場合もございます。


@ 太い線で、下地の透明ガラス部分まで太く深く削り取る。  (「親骨」と呼び、主となる線である)

A 少し太い線で、溝の芯のみ少し色抜く。  (磨きを掛けると華麗なグラデーション、ぼかしとなる)

B 少し太い線で、溝の芯の色が抜ける寸前まで彫り、ぼかす。  (下地の透明ガラスまで削り取らない)                                     

C 線が細く、細かい文様を入れ、全く色を抜かない部分を施す。  (ぼかさがない) 〈魚子/ななこ 文様など〉

D 全く削らないガラス面を残す。  (「ハゲ」と呼んでいる) 



    被せ = かぶせる  (外被せ−下地のガラスの外側に色ガラスをかぶせて成形する方法)

    ※通常は、内被せで、外側に色ガラスをかぶせて成形したもの(内被せ)に、カットを施したものが多く見られる。 

                   
■ 薩摩切子の定義 ■
 【古薩摩切子】 
  日本で江戸時代幕末のごく短期間に、鹿児島の薩摩藩によってつくられ、大きく発展をとげた
  美術工芸品(カットグラス)。1846年 島津家27代 薩摩藩主 島津斉興による薬品に耐えるガラス器から始まり、
  日本で最初の化学技術を導入した洋式の工場群「集成館」で、1851年 名君島津家28代 藩主 島津斉彬の指揮のもと
  より作られたもの。
   薩摩切子が作られた目的島津家による 「集成館事業 」という、日本を豊かな国にしようとする
                   近代化事業の一環の中で作られ、海外交易の品としての目的で作られた。
  薩摩切子の特徴 − 無色透明ガラスの外側に色ガラスを厚く被せ、外側表面の色ガラスを、最大で5段階の彫りの深さで
              削って加工(カット=切子)を施し、薩摩ボカシ」 といわれるグラデーションを醸し出すように
              加飾表現している事が最大の特徴です。

   【新薩摩切子】 (鹿児島於)
   鹿児島で制作されている華麗な美術工芸品 (カットグラス = 切子ガラス)。
   ○ 復元 薩摩切子
    1985年より古薩摩切子を復元した切子ガラス。(特徴 ― 古薩摩切子同。 当時のものに準ずるデザイン・形状)
   ○創作 薩摩切子
     1985年より古薩摩切子と同じ技法 (透明ガラスに色ガラスを厚く被せてカット) を用いて、古薩摩切子に
     使用されている文様に新しい幾何学文様などを組み合わせデザインし、創作した切子ガラス。
   (特徴 − ・ 古薩摩切子と同様、表面の色ガラスを最大で5つ段階の彫りの深さで削って切子で表現し、
             薩摩ボカシといわれるグラデーションが特徴)                      
            ・ 新しい創作デザイン





江戸切子の歴史

「切子」とはカットのことです。1834年(天保5年)江戸大伝馬町のびいどろ屋、加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻することを工夫したのが今日に伝わる「江戸切子」の始まりです。

明治十四年には工部省品川工作分局がイギリスよりカット及び摺模様の技術者エマヌエル・ホープトマンを招き技術を伝習させた。

教えを受けた伝習者たちが指導者となり明治・大正・昭和・平成と江戸以来の日本の切子を伝承し、素晴らしい弟子を育て、その職人たちの熟練した技は高い評価を得ている。




江戸切子の特徴

最初は、無色透明なガラス生地にカットしておりますが現在では一般的に(1mm以下)色を被せた「被せガラス」が主流になっております。線と線の間が薩摩切子とくらべると狭く細かいカットでキラキラして女性的な感じがする。
 







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